2020年09月16日

いつか…のツケは大きいもの

別れは突然やってくる…。

こんにちは、かもみーゆの未千です。

実は、先日。
私の祖母が他界しました。
享年87歳。
あと、何日かで88歳の誕生日を迎えるはずでした。
いつか…のツケは大きいもの

祖母は、13年前から痴呆がはいり、
色々あり…
4年前に施設に入りました。
最期には言葉も喋ることはなくなり、
車椅子になっていたそうです。

幼い頃から、苦労してきた祖母は、

いつも

人のために尽くしてきた人でした。

いつも笑顔で朗らかで

私たちには決して甘くはない厳しいところもありましたが、
本当にいざという時に
助けてくれる
気持ちを汲み取ってくれる
そんな祖母でした。

祖父が死ぬ時も最期まで看取り、
祖父の兄弟のことまで最期まで看取り、

本当に 人のために自分のことを後回しにする祖母

辛いことも苦しいこともたくさん
たくさんあったそうです…

そんな祖母も
施設に入り、すごく幸せそうに朗らかで
いつもスタッフさんのムードメーカーだったそうです。
言葉は喋れないのに
いつも、
『ふるさと』の唄を口ずさみ
呼吸がとまる、数時間前まできちんと普通にご飯を食べていたんだとか

娘が小さい時には何度か行っていたんですが。
会っても誰かわかってくれないことや、
祖母は祖父が亡くなった後、
籍を入れず、一緒に暮らしていた人がいました。
どんどんと老いていくなかでの
老老介護。
やっぱり、余裕がなくなり弱っていくと…
頼りたくなりますよね…
そんな時の一言で、
母は激怒。

お互いが自分のことしか考えられなくなり
言いたいことを言い
そこで、どれだけ傷つけ合ったことか…
弁護士をたてて、口を出すなと手紙まできました。

母の子であり。
祖母の孫である私は

そんな事が凄く悲しくて辛かった…
大好きな人たちが
色々と揉めた事を思い出してしまうのが嫌で、
悲しくなってしまうのが辛くて…

会うことができなくなってしまいました…

いつか

いつか会いに行こう

と思っているうちに

月日は流れ

別れがきてしまいました

皮肉にも…

お葬式の時に

数年ぶりに集まることになった親族。

身内だけでの厳かに行われた家族葬

久しぶりに見る祖母の顔は

とても綺麗でした

天真爛漫な母を時には叱り、見守り、助けてくれた祖母。
私が中学生の時
色んな事が辛くて泣いて祖母に電話したときも
黙って話を聞いてくれて
いつも気にかけてくれていた
第二のお母さんでした

だから、最期は
もめることなく
祖母を見送りたい
そんな思いでした

でも、やはり
今まで離れていて
見て見ぬ振りしてきたツケは必ず回ってきます。

今、母はその事でバタバタしていて
悲しむ暇はありません。
はっきり言って、振り回されてます。
私には、その母を送迎したり支えることしかできませんが

やはり、生きている時に話し合っていくことは
大切だと思いました。

エンディングノート
残された人のために必要なんだなと感じました。

いつか…のツケは大きいもの

祖母は痴呆になる前に、
しなきゃね〜と毎回
話はしていたんですが、
その、
いつか…

は、あっという間にきてしまいます。
人は、
いつどうなるかわからないです。

そして、会いたい人に好きな時に会えない状況になってしまいましたが、
声を聞いて話すだけでもいいから
大好きな人と話すことを忘れずに
日々を過ごしていきたいですね✨



Posted by みち at 13:56│Comments(0)
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